勉強について

勉強ができる子供であった。とはいえ県で何番とか全国で何番とか、どこそこの名門中学校の出身だとかそんな次元にはまったくなく、というかそんな次元の熾烈な戦いが同世代の子供たちの間であるいは彼らの親たちの間で繰り広げられていることなど露ほども知らず、ただ山奥の小さい町のなかでわりあいにできる子供として扱われて育ったというだけの話である。

もし都会に、そして学歴をそれなりに重要視する親のもとに生まれた場合、私は一桁の年齢のうちから受験勉強に身を投じることになり、そしてそのような苛烈な争いを勝ち残れる本物の秀才では決してなかったろうから、自身の学力に対する何がしかの引け目と諦念とを刻み込まれる結果に終わったかもしれない。

あるいは姉や兄が私と同等かそれ以上に勉強のできる子供であれば。しかし私たちきょうだいはそれぞれまったく方向の異なる天分を与えられていたために、そして重要なことには両親がそのすべての種類の天分を等しく良いものとして扱ったために、あからさまに優劣をつけられて悔しい思いをしたり、互いに対抗心を燃やすということがほとんどなかった。

だからといって、私が自身の学力に対してコンプレックスを一切抱かずにいたかというとそうではなく、確かになにか拗らせたものを抱いてはいたのである。

たとえばテストが返ってくると、クラスメイトは点数のところを折り曲げて見えないようにして、あー全然だめだったと笑い合っているが、私が同じようにすると、みんなは「ヒクッ」とするのだった。この「ヒクッ」は何とも形容しがたい表情であった。かといって何もしないで点数を晒していると「みんな隠してるのに、自信があるから隠さないんだ、見せびらかしてるんだ」と思われないとも限らず、私は自分がどうしたらいいのかわからなくなり、最終的には何もかもなかったことにして、さっさと解答用紙をしまって、しょうもない落書きの方に興味がある変人のふりをするのが最も無難であり、誰にも不快な思いをさせないという結論に達した。

高校には一人例外の友達がいた。彼は私と同じくらいの成績で、数学など私より遥かによくできるのだった。その友達にだけは自分のテストの点数をなんの遠慮も引け目も感じずに話すことができた。友達より自分の方が点数が上でも、彼はほんの1秒たりとも「ヒクッ」とすることがなかった。むしろ目を輝かせていた。私を純粋な競争相手として認めてくれていたのである。だから高校時代は本当に勉強が楽しかった。点数をとれる自分を心の底から肯定していた。

無論、私ごとき全国の優秀な学生に比べれば有象無象もいいところ、しょせんはド田舎で進研模試を受けてはしゃいでいる井の中の蛙にすぎなかった。そういう蛙の常として、大学入学・上京と同時に、広い世の中には生まれついて私などよりずっと学力が高く文化資本に恵まれ意欲と好奇心に満ちて勤勉な学生がごろごろ存在すると知ることになる。

大学に入学するとすぐにTOEICを受けさせられた。その結果によって英語のクラス分けが行われる。私は人生で初めて、同学年のなかで「真ん中くらい」という評価を受けた。今でもありありと思い出せる、その掲示を見た時の衝撃!そして感動!!さらに解放感!!!

悔しくなどなかった。ただ解放感があった。もう一番じゃなくていいのだという安堵があった。こんなに自分よりも勉強ができる人間が沢山いるなら私は何してても良いんだという開き直りがあった。それまで無意識のうちに自分は優秀なのであり、今後も優秀であり続けねばならないと思い込んでいたことに気付いた。周囲の期待する「頭いいやつ」役を演じようとしていたその無意味さに気付いた。

いや、これを「周囲の期待から解放された」と言うのはあきらかな欺瞞である。私は私自身の高慢と驕りから解放されたのであった。周囲は別に大したことは言わなかった。誰よりも私自身が私に期待していたのであり、その期待に私が応え続けていたのであり、結果として己の裡に見るに堪えない傲慢さを醸成していた。その停滞、淀みから解放されたと言うのが正しい。

やった!!!!

俺は自由だ!!!!

その解放感が強すぎてぜーんぜん勉強しない駄目学生になっちゃったわけだけど、まあそれはそれでよかったんじゃね?と思う。もちろん、これ学生のうちに勉強しとけばよかったなーと後悔することは多々あるけど、何よりもまず、自分はたいして優れた人間でもないし、優れた人間でありたいともそんなに思ってない、むしろ義務を逃れるほうにこそ強い欲求がある怠惰な個体ということに早めに気づけたのは非常に良かった。人生、おもれ〜〜