地球大進化

地球大進化』は、2004年にやっていたNHKスペシャルの番組で、書籍化もしている。当時私は小学生で、この番組と書籍が大好きだった。内容を完全に理解していたとは到底言い難いが、何度も繰り返し見て、読んでいた。地球が極地から赤道に向かってどんどん真っ白に凍り付いていく全球凍結のイメージ映像、枯れた大地の、わずかに残った水溜りに集まって折り重なるように死んだ動物たちの化石。超温暖化、寒冷化、乾燥化、酸素濃度の低下、容赦のない破壊と滅亡と再生が幾度も飽かず繰り返されてきた46億年の歴史に私は高揚した、その高揚感の正体が果たしてなんなのかはわからない。ただ、今ここにある人間の社会は本当に「ついさっき」できたばかりの、長い長い宇宙と地球の歴史の中で生まれて消える泡沫の一つにすぎないと知った時、何かすごく嬉しかったのだ。

地球大進化の書籍版には、地球の過去だけでなく、未来についても記述されている。だいたいこのくらいで生命圏が崩壊し、このくらいで水が全部蒸発し、このくらいで地球が太陽に呑み込まれ、その太陽もじきに燃え尽きる、というようなことがつらつらと書かれている。もしかするとこの記述ほど、私に影響を与えたものは無いかもしれない。連綿と自己複製を続け、繁栄と絶滅を繰り返し、激変する地球環境に翻弄され、それでもぎりぎり一握りの種が切り抜けて作り上げてきた生命の歴史の、その結末がこれ。これこそ解放宣言ではないか。そんな結末が用意されているなら、たかが人間の一個体がどう生きてどう死のうと、何も、何も関係ないじゃないか。私の可愛がっている鳥が死に、私も死に、最後の生物がそっと地上から消え、地球は霧消し、宇宙は膨張しきって停止する、それが10年後でも1億年後でも1兆年後でも、すべては滅ぶ、すべては消える、その運命だけは変わらない。努力しだいで多少、最期を先延ばしにすることは可能かもしれないが、遅かれ早かれ終わりはやってくる、その時に誰かが「よく長い間生き残りましたね」と褒めてくれるわけでもない。ならば、人は生きて子孫を残さなければいけない、国が、社会が、ホモ・サピエンスが未来永劫存在し続けるべく努力しなければいけない、そんな風に意気込んでみせたところで、まったく、何の意味も無かったのだ。最高すぎて笑えてくる。なんという徒労、なんという救い。絶対に何かを「しなければならない」なんてことは、この世に一つもない。

自由だ。