イトーヨーカドー

数年前にじいちゃんが死んで、ばあちゃんは叔父の家に住み始めた。ばあちゃんの家は取りこわしになった。私がばあちゃんの家に行くことはもうない。

ばあちゃんの家から少し歩いたところにイトーヨーカドーがあって、私が物心つく頃からずっとばあちゃんちの買い物はそのイトーヨーカドーでしていた。私が正月にお年玉をもらって意気揚々とゲームソフトを買いに行ったのもそのイトーヨーカドーだったし、ばあちゃんに新しい服を買ってもらったのもそのイトーヨーカドーだったし、もっと成長してからは一緒に夕飯の食材を選んだのもそのイトーヨーカドーだった。

イトーヨーカドーはまだそこにあって元気に営業中である。しかしばあちゃんの家はもうないので、今後私があのイトーヨーカドーに行くことはおそらくないだろう。もし行ったとして、それはばあちゃんの家からお年玉を握って走っていったイトーヨーカドーとは別の場所になっているような予感がある。あのイトーヨーカドーは永遠に失われたのだ。

最後に私があのイトーヨーカドーに行った時もう来ることはないとわかっていただろうか。最後にばあちゃんの家に行った時もう来ることはないとわかっていただろうか。最後にじいちゃんと話した時もう話をすることはないとわかっていただろうか。

そのようなことを思いながら不滅のあなたへ17巻を読んだらボロボロに泣いてしまった。どんなことにも最後の1回がくる。我々はそれを受け入れることしかできない。

イトーヨーカドーは年月の経過とともに失われていくものなので、人間は一つでも多く新しいイトーヨーカドーを作ろうと躍起になるのかもしれない。それは腹がへるから飯をくうのと本質的には同じ行いかもしれない。しかし失われたイトーヨーカドーを思いながら静かに飢えている時間もまた味わい深いのかもしれない。みなさん不滅のあなたへを読んでください。