鳥のなる木

鳥はよくぶら下がっている。鳥はサザナミインコという鳥だ。サザナミインコはよくぶら下がる鳥らしい。

ぶら下がるというのはつまり、頭を下に、尾を上にして、足で何か物体を掴んで、そのまま動きを止めている状態である。

人間はあまりぶら下がることができない。人間の足の構造と体重からして、足の指で何かを掴んでぶら下がるのは難しい。膝関節で鉄棒や何かを挟んでぶら下がることならできる。私も小学生の頃はそうしてぶら下がりたくなる時期があった。小学生とは己の肉体の可動性を試したがる生き物だ。ぶら下がるのが趣味という大人も中にはいるかもしれないが、多くの人間の成体は頭を上に、足を下に、あるいは両者を水平にしていることをよしとする。

私が家にいる時、鳥はだいたい籠の外に出て、カーテンレールに吊り下げたおもちゃで遊んだり、リンゴを食べたりしている。ふと鳥の気配が薄れる。どこにいるのかと探す。そうしないとうっかり踏みつぶすかもしれない。鳥を見つける。鳥はぶら下がっている。

ロープや、洗濯物を干すピンチハンガーや、カーテンレール、カーテン、あらゆるものにぶら下がる。ぶら下がって、特に何かをするわけではない。何かをかじるためにぶら下がっている場合もあるが、多くのぶら下がりは無目的である。ただ頭を下に、尾を上にして、重力をその無表情な目で嘲弄するように静止している。

鳥がぶら下がることを、私は鳥が「なる」と言うようになった。ぶら下がる鳥は、枝に実る果実を想起させる。

鳥のなる木。夜、その枝には何もない。葉の一枚もついていない。朝になって見ると、枝には無数のサザナミインコがぶら下がっている。かれらは無表情である。鳴きもせず、動きもしない。ただぶら下がっている。頭を上に、足を下に、あるいは両者を水平にしていることをよしとする鈍重な生き物は、地面に立って無数のサザナミインコの、それに倍する数の黒い大きい目を見上げていることしかできない。風が吹けば枝は揺れるが、サザナミインコの握力はその程度の刺激には動じない。枝とともに無数のサザナミインコが揺れ、風が止むとサザナミインコも止まる。やがて熟したサザナミインコは枝を離れてどこかに飛んでいき、飛んでいった先でまた鳥のなる木を生やす。