望郷

東京は人が多い。圧倒的に多い。人が多いと良いことはたくさんある。店が多い。場所が多い。場所が多いというのは空間が広いという意味ではない。空間に与えられた役割が多いということだ。

地元には人が少なかった。当然子供はもっと少なかった。人が少なくて人の必要としない空間がたくさん余っていた。おかげでずいぶん色々な遊びを好き勝手にできたから、小学校を卒業する頃まで特段不満を抱くこともなかった。なかったが、どんな感情にも分類しにくい何かは感じていた。もうとっくに誰も住んでいない古い建物は取り壊されるでもなく放置されてだんだん草木に呑み込まれていった。「ここはもう終わりを迎えつつある」という漠然とした感覚があった。

中学校に入ると次第に人の少なさが鬱陶しく思えてきた。人が少ないから部活も少ない。人が少ないから遊びに行く先も少ない。何をするにも選択肢が少ない。そして、少ない人の中で人間関係を全部まかなおうとするのは枚数の足りないトランプで無理矢理遊ぼうとしているようで嫌だった。

思春期に普遍的な反抗心といっていいと思うが、その頃はとにかく地元の外に興味があった。ただトカイというだけではない、人に求められて、人に愛されて、人が集まる街に憧れた。京都や奈良のような古都、旅行先に人気の外国の都市、そんなような街のガイドブックや地図を、自転車で片道50分かかる本屋で立ち読みしては想像をふくらませた。

高校に入ると、ヨーロッパのある都市にホームステイに行ける市のプログラムがあることを知った。お年玉貯金をはたいて飛行機代を払った。ホームステイ先の家族はとても優しく、食事はおいしく、共通言語が双方うろおぼえの英語しかない会話はかなり怪しいながらギリギリ成立し、街並みは歴史を感じさせてほんのさりげない一角さえ絵になり、ホストのご夫妻のプロポーズの場所だという美しい湖畔は映画のロケーションのようにロマンチックだった。毎日が刺激的で楽しく面白かった。ただ、今でもはっきり覚えているのだが、その旅行中ふと、唐突に実家の前の道を思い出した。生まれて初めてそれを懐かしいと思った。

 

実家の付近は山があまりに近いので、朝になっても太陽の光はなかなか届かない。薄青の空に空気は湿度を含み、深緑の山腹には朝靄が刻々と流れる。川の浅瀬の石の上をキセキレイがツトトと歩いている。ようやく山から太陽が現れると射し込む光が金色に見える。空地の枯れ草に溜まった露がその金色を映す。もうとっくに誰も住んでいない古い建物は取り壊されるでもなく放置されて、だんだん草木に呑み込まれていく。