知見

苦しみには二種類があって一つに肉体的な苦しみ、一つに観念的な苦しみ 肉体的な苦しみ、たとえば痛みや疲労や飢えや暑さ寒さの苦痛、これはもう生き物である以上逃れようがない 観念的な苦しみ、これは本当ならこうあるはずだったのにとか、本来ならこうあるべきだったのにとかいう想像と現実を照らし合わせることから起こる苦しみである、しかし本当も本来もなにも現実にはそうならなかったというだけのことであって、それをあれこれ想像して悩んだり怒ったりするのは自ら苦しみの種をまいてせっせと面倒をみているだけの行いでまったくの徒労だ われわれは水のごとく全てを諦め受け入れて天運のさだめる場所へ流れるのみ、ただ冷静に穏やかに目の前の現実に対処して生命活動をまっとうするのみ そこに何の意味も意義もなくとも、もともと生命とは無意味なものなので…

という話をママとした ブッダか?

イトーヨーカドー

数年前にじいちゃんが死んで、ばあちゃんは叔父の家に住み始めた。ばあちゃんの家は取りこわしになった。私がばあちゃんの家に行くことはもうない。

ばあちゃんの家から少し歩いたところにイトーヨーカドーがあって、私が物心つく頃からずっとばあちゃんちの買い物はそのイトーヨーカドーでしていた。私が正月にお年玉をもらって意気揚々とゲームソフトを買いに行ったのもそのイトーヨーカドーだったし、ばあちゃんに新しい服を買ってもらったのもそのイトーヨーカドーだったし、もっと成長してからは一緒に夕飯の食材を選んだのもそのイトーヨーカドーだった。

イトーヨーカドーはまだそこにあって元気に営業中である。しかしばあちゃんの家はもうないので、今後私があのイトーヨーカドーに行くことはおそらくないだろう。もし行ったとして、それはばあちゃんの家からお年玉を握って走っていったイトーヨーカドーとは別の場所になっているような予感がある。あのイトーヨーカドーは永遠に失われたのだ。

最後に私があのイトーヨーカドーに行った時もう来ることはないとわかっていただろうか。最後にばあちゃんの家に行った時もう来ることはないとわかっていただろうか。最後にじいちゃんと話した時もう話をすることはないとわかっていただろうか。

そのようなことを思いながら不滅のあなたへ17巻を読んだらボロボロに泣いてしまった。どんなことにも最後の1回がくる。我々はそれを受け入れることしかできない。

イトーヨーカドーは年月の経過とともに失われていくものなので、人間は一つでも多く新しいイトーヨーカドーを作ろうと躍起になるのかもしれない。それは腹がへるから飯をくうのと本質的には同じ行いかもしれない。しかし失われたイトーヨーカドーを思いながら静かに飢えている時間もまた味わい深いのかもしれない。みなさん不滅のあなたへを読んでください。

勉強について

勉強ができる子供であった。とはいえ県で何番とか全国で何番とか、どこそこの名門中学校の出身だとかそんな次元にはまったくなく、というかそんな次元の熾烈な戦いが同世代の子供たちの間であるいは彼らの親たちの間で繰り広げられていることなど露ほども知らず、ただ山奥の小さい町のなかでわりあいにできる子供として扱われて育ったというだけの話である。

もし都会に、そして学歴をそれなりに重要視する親のもとに生まれた場合、私は一桁の年齢のうちから受験勉強に身を投じることになり、そしてそのような苛烈な争いを勝ち残れる本物の秀才では決してなかったろうから、自身の学力に対する何がしかの引け目と諦念とを刻み込まれる結果に終わったかもしれない。

あるいは姉や兄が私と同等かそれ以上に勉強のできる子供であれば。しかし私たちきょうだいはそれぞれまったく方向の異なる天分を与えられていたために、そして重要なことには両親がそのすべての種類の天分を等しく良いものとして扱ったために、あからさまに優劣をつけられて悔しい思いをしたり、互いに対抗心を燃やすということがほとんどなかった。

だからといって、私が自身の学力に対してコンプレックスを一切抱かずにいたかというとそうではなく、確かになにか拗らせたものを抱いてはいたのである。

たとえばテストが返ってくると、クラスメイトは点数のところを折り曲げて見えないようにして、あー全然だめだったと笑い合っているが、私が同じようにすると、みんなは「ヒクッ」とするのだった。この「ヒクッ」は何とも形容しがたい表情であった。かといって何もしないで点数を晒していると「みんな隠してるのに、自信があるから隠さないんだ、見せびらかしてるんだ」と思われないとも限らず、私は自分がどうしたらいいのかわからなくなり、最終的には何もかもなかったことにして、さっさと解答用紙をしまって、しょうもない落書きの方に興味がある変人のふりをするのが最も無難であり、誰にも不快な思いをさせないという結論に達した。

高校には一人例外の友達がいた。彼は私と同じくらいの成績で、数学など私より遥かによくできるのだった。その友達にだけは自分のテストの点数をなんの遠慮も引け目も感じずに話すことができた。友達より自分の方が点数が上でも、彼はほんの1秒たりとも「ヒクッ」とすることがなかった。むしろ目を輝かせていた。私を純粋な競争相手として認めてくれていたのである。だから高校時代は本当に勉強が楽しかった。点数をとれる自分を心の底から肯定していた。

無論、私ごとき全国の優秀な学生に比べれば有象無象もいいところ、しょせんはド田舎で進研模試を受けてはしゃいでいる井の中の蛙にすぎなかった。そういう蛙の常として、大学入学・上京と同時に、広い世の中には生まれついて私などよりずっと学力が高く文化資本に恵まれ意欲と好奇心に満ちて勤勉な学生がごろごろ存在すると知ることになる。

大学に入学するとすぐにTOEICを受けさせられた。その結果によって英語のクラス分けが行われる。私は人生で初めて、同学年のなかで「真ん中くらい」という評価を受けた。今でもありありと思い出せる、その掲示を見た時の衝撃!そして感動!!さらに解放感!!!

悔しくなどなかった。ただ解放感があった。もう一番じゃなくていいのだという安堵があった。こんなに自分よりも勉強ができる人間が沢山いるなら私は何してても良いんだという開き直りがあった。それまで無意識のうちに自分は優秀なのであり、今後も優秀であり続けねばならないと思い込んでいたことに気付いた。周囲の期待する「頭いいやつ」役を演じようとしていたその無意味さに気付いた。

いや、これを「周囲の期待から解放された」と言うのはあきらかな欺瞞である。私は私自身の高慢と驕りから解放されたのであった。周囲は別に大したことは言わなかった。誰よりも私自身が私に期待していたのであり、その期待に私が応え続けていたのであり、結果として己の裡に見るに堪えない傲慢さを醸成していた。その停滞、淀みから解放されたと言うのが正しい。

やった!!!!

俺は自由だ!!!!

その解放感が強すぎてぜーんぜん勉強しない駄目学生になっちゃったわけだけど、まあそれはそれでよかったんじゃね?と思う。もちろん、これ学生のうちに勉強しとけばよかったなーと後悔することは多々あるけど、何よりもまず、自分はたいして優れた人間でもないし、優れた人間でありたいともそんなに思ってない、むしろ義務を逃れるほうにこそ強い欲求がある怠惰な個体ということに早めに気づけたのは非常に良かった。人生、おもれ〜〜

自我がキモい

自我をスプレッドしようとする行為全部が気持ち悪い、自我が隙あらば人間の内側から溢れ出して増殖しようとうごめいているのが垣間見えるたびに怖気がする、多数派の大看板を背負った時の人間は自我をバターナイフに取ってそこらじゅう塗りたくる行為に無自覚でいられる、社会性社会性と唱えながら他の人間を自我を塗りつけるための壁か柱としか見ていないそういう矛盾に気付かずにいられる、やられる方はたまったものじゃない、怒るは怒るで疲れるから諦めてあたかもそれが面白い遊びであるかのようにハハハハと笑ってあるいは大袈裟に困った困ったと騒いでみせて家に帰ってから真顔でシャワーを浴びることになる、何より恐ろしいのは自分もまた同じ行為を他の人間に対してやっているに違いないことであり、それを思うたびにいっそ海藻になりたくなる、こんなことはもう一切やめにしてみんなで海に浮かばないか、何も思わず何も感じず互いに干渉することもなくサカナか鳥に食われるか朽ち果てるかするその日まで各自光合成でもしながら波に任せてたゆたっていないか、嫌ですか、すみません。

人体の嫌いなところランキング

10位 尻

ウケ狙いで作った形状としか思えない

 

9位 皮膚

膜感(まくかん)が強くてキモい

 

8位 髪

なんで頭の毛だけ無限に伸び続けるのか

 

7位 足

短い指がいっぱい生えててキモい

 

6位 へそ

なにこれ

 

5位 腕

長くて草

 

4位 脳

諸悪の根源

 

3位 ワキ毛

意味不明

 

2位 顔

重要なパーツが密集しすぎててキモい

 

1位 生理

インテリジェント(笑)デザイン

 

鮮やかさ

お早うございます。プレシャスライフレコーズへようこそ。本日は「走馬灯」のご注文ということで。はい。はい。いえ、大歓迎でございます。今や「走馬灯」は死を間近にした時にだけ見るものではございません。むしろ未来に多くの時間を持つ方にこそ必要なものと私どもは信じております。

それではこちらに横になってください。記憶をスキャンさせていただきます。しばらくかかりますから、楽になさっていて結構でございます。

 

お待たせいたしました。こちらの装置をつけて、「走馬灯」をご確認いただけますでしょうか。

 

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一欠片の雲も浮かんでいない空は異様に青くその異様な青さを見ただけで季節は晩秋であることがわかるその空を見ると宇宙が真空であることを直感的に理解できる。日差しは明るい色調を帯びており景色はうっすらと黄金色に発光しているかのようで私はそれを見て山吹色に塗り潰したレイヤーをオーバーレイで重ねたようだと思うその景色は大学の構内の景色である。私たちはこれから畳んでおいたテントを片付けにいくのだどうしてテントが畳んであるかというととても風が強いからでどうしてテントがそもそもあるのかというとゆうべまでそこでお祭りがあったからだそのお祭りの気配がまだ色濃く構内に留まっている中風の強い中を歩いて行ったことと濁りのない青空を私はよく覚えている。

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とても冷たい水が水道から出ていてその水道はふだんそこにはない水道でそこは屋外なのだったみんなが使った後のそのシンクを洗って生ごみをせっせと片付けている私たちは気温が低く水が冷たく空は真っ暗であるにも関わらず笑い出さずにはいられない。もうそのあたりに私たちのほかにほとんど人はいなくて私たちは有名な映画の歌を歌い始める歌っているとますます可笑しくなってきて私たちはこの世が終わる直前のように晴れやかな何も憂いのない何も恐ろしくない気持ちで繰り返し繰り返しその歌を歌っていて日頃には何とも思わないような街灯の光が燦然として眩しく水はとても冷たい。

× × ×

枯草色の芝生に適当な布を敷いてあぐらをかいて座り込む周りには大勢人がいて誰一人として私のことを気にしていないみんな好きなようにしている私はみんな好きなようにしているのが好きなんだと理解する。太陽の光は飽くまでも暖かく手には冷たい酒と熱い食べ物があって賑やかな音楽とさんざめきが不思議とむしろ静かに感じるその全部を聞いていて全部を聞いていないそしてこの世で一番楽しい匂いであるところのクミンと肉と炭火の匂いが至る所でもうもうと湧き上がっては空気中に流れ出して漂っている。真昼間に温泉に浸かっているみたいな気分だ何もいらないと思うずっとこのままここに座ってこの音と匂いと日光の暖かさとを知覚していることができるなら何もいらないと思う。

釈明

俺ぁお前さんみたいな高給取りじゃなくってよ 手取りでいったらお前さんがちょっと費いすぎちまった月のクレカ代 まあそんなところさ お前さんが可愛い女にしゃれた指輪の一つも買ってやろうかというような……そんな金で半年は食いつないでるってもんだ

幸いにも俺ぁ物欲ってもんが少ない はやりの化粧品なんかも眺めてるだけで満足しちまう 家具も服も安もんでいっこう構わない 家だってずっと安アパートだ それでとくに不満にも思わないんだよ ともかく毎日三食食えて布団で眠れるんだから……

だがな 俺には一つだけ 一つだけ欲しいって気持ちを抑えられないもんがあるんだ それが本さ 本てのは良い……良い形をしてるんだ お前さんは形なんかどうでもいいっていうかもしれないが……そいつぁ嘘だぜ 本てのは何よりもまず良い形をしてる この世にこんなに良い形をしたものは滅多にないんだ

紙がたくさん束になってる ざらざらのどうでもいいような紙じゃないぞ すべすべした上等なもんだ 紙にはやわらかなフォントの文字がたくさん印刷されていて それがきれいに切りそろえられて綴じてある 両側じゃない 片側だけだ 両側綴じたら開けないからな そんでもっと厚い紙で上下と背とを挟んで……その厚い紙にはなにか美しい絵や……文字が色とりどりにえがかれている……

それが万人にとって良い形かなんてことは知らない 俺ぁ美術に詳しくないからな だけど俺には刷り込まれちまってんだ この形は良いもんだって この形のものは面白いって もちろん本当に面白いのばかりじゃない いざ読んでみたら期待はずれってこともざらにあるさ だがそんなことを読む前に考えたってしかたない 本が良い形だってことには変わりないんだ

お前さんミカンは好きか?好きってことにしよう ミカンはうまいがごくたまにどうしようもないような味のやつがあるよな だがたまたまそれを引き当てたからってお前さんミカン全部を嫌いになるか?ならないよな また新しいのを買って……もっと評判のいいやつや以前買ってうまかった農家のを選ぶかもしれないが……食べるよな 嗜好ってのはそう簡単に変わらないもんだ ミカンのあのまるい形が良いものだってことはそうそう揺るがないのさ お前さんの記憶が赤ん坊の頃のやつから何から全部抹消されでもすりゃ別だがな……

本の形ってのは経験の形だ わかるか?俺がみっつのガキの頃から今まで本を読むことで得てきた楽しい時間……経験ってのは目に見えないが 本の形にはそれが詰まってる まさに体現してるんだ 象徴といってもいい だから本屋に行って本を買う瞬間がな 俺ぁ本当に楽しいんだよ

だがなお前さん 本を買いたいってのは本を読みたいってこととイコールだと思ってるだろう 俺にかぎっていえばそれは違うぜ 本を手の中におさめてその重さを感じる 自分のものにしてその乾いたさらさらの表紙を撫でさする 家に持って帰って目につくところに置いておく……それがしたいんだ それこそが重要なんだ

ただ本を読みたいだけなら電子書籍ってのは良いもんさ 何せしまう場所に困らないからな だがあれはどうにも買ったという実感に欠けるんだ 素っ気ない画面をちょいちょいいじって終わり……色気も何もあったもんじゃない

色気は関係ないって?大ありだ お前さん本屋に行ってこう感じたことはないのか?本が自分を誘ってるってよ 大胆に誘惑してくる本もいれば……お高くとまった本もいる いいの?あたしAmazonなんかじゃ手に入らないわよ……今ここで、買うんじゃなきゃ二度と会えるなんて思わないことね……俺は恐る恐るその本を手に取る ページを開いて絹みたいに上質な紙を間近に見る 新鮮なインクの芳醇な香りを感じる それでもう引き下がれなくなっちまう 俺ぁそういう本とのコミュニケーションが好きなんだ

わかるか?

わかってくれたか?

……まあいいさ これだけ理解してくれればいい

俺が今日予定外に7600円払ったのは間違いなんかじゃないってな